『 儀秀稲荷神社@西涼寺 』
こんにちは
つるビーです
今日は5月13日。
ちょっと都留市の歴史のお話だよ。
昭和24年5月13日の午前2時、
草木も眠っている時間に都留市の下谷地区にある撚糸工場から出火した火事は、
乾燥した空気と、強い風で瞬く間に燃え広がって、
都留市の下町の一部、横町の全域、栄町、田町の一部を焼失する大火事となったんだ。
罹災地は当時の谷村町の中心部で、繁華街。
その被害はとっても大きなものだったんだよ
焼けたのは全半焼併せて400棟以上、罹災者は1,500人以上だったんだ。
この火事で横町(今の中央4丁目)にあるお寺もみな焼けてしまったんだけど、
その中で、木造の小さなお社だけが奇跡的に焼け残ったんだ
その
お社が儀秀稲荷社
大きな難を逃れた儀秀稲荷社を厄除儀秀稲荷として、
毎年5月13日に祈祷のお祭が行われているんだ。
本堂の横には、谷村の大火で焼けた地域がわかるように、
昔の写真が展示されているから見てみてね。
火事の大きさを実感できると思うよ
本堂の右側を通っていくと、裏山に続く階段があって、
その階段を登っていくと儀秀稲荷社があるよ。
この儀秀稲荷社は、由緒あるお社なんだ。
もとを辿ると江戸時代にさかのぼるよ。
当時、山梨県の郡内を治めていた秋元氏が谷村城(今の谷村第一小学校が谷村城の跡地)に入場してから72年間、このお屋敷の中に祀られていたお社なんだけど、
秋元氏が川越に移ることになったときに西涼寺(さいりょうじ)に遷されたんだ。
お社の賽銭箱に記されている紋(お社の幕の右側の紋)は、秋元氏の紋。
大名行列の奴さんたちが着ているハッピの背中にも同じ紋が入っているから、
八朔祭のときにチェックしてみてね
昭和24年、今から62年前にあった都留市の大きな出来事、谷村の大火。
今でも谷村の人たちに語り継がれているから、
火の用心の意味も込めて、体験された人たちからお話を聞いてみるのもいいね。
- 2011.05.13 Friday
- 都留市の祭事
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